センス・オブ・ワンダー
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ある秋の嵐の夜、わたしは一歳八か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸へおりていきました。海辺 には大きな波の音がとどろき わたり、白い波頭がさけび 声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、 広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底から湧きあがるよろこびに 満たされて、いっしょに笑い声をあげていました。
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ロジャーくんは幾つになったんだろうか。
今年は、若いころに読んで「ああ、良かったなぁ」という記憶が残っている本を再読する年にしようと思います。その一冊目が、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」。初めて読んだのは、学生の頃だったかな。もちろん「沈黙の春」も読んだのですが、読後の印象で言うと「センス・オブ・ワンダー」の方が“救われた感”があったのかも知れません。最近の文庫版では、掲載されている画像が違ったように思えたのは、勘違いでしょうか。まぁ、内容が変わるわけでもなし。問題ないです。
当たり前の言葉で書くなら「忘れていた感覚が甦りました云々」なんでしょう。しかし、実際は「忘れていた感覚」ではなく「捨て去った感覚」なのです。時間に流され、便利を追求し、汲々とした生活に追われ、自然の一端に触れて「すげぇっ!」と思える触角を失ってしまったのです。せっかくカヤックと言う道具を手にしているにも関わらずデス。元旦早々、ちょっとガックシ。でもでもでも、もう一回触角を取り戻せるかも知れません。フリダシに戻って、オルカに感動していた頃の自分を取り戻したいです。ブローの飛沫、静寂な海に響き渡る音、生臭い匂い、どれもこれもが“あの当時の自分”にとっては「すげぇーっ!」の連続でした。
そんなことを考えながらの、今日は初漕ぎでした。大貫から磯根を周って、観音様の下まで行き、引き返して大貫海水浴場からの岩瀬川遡上。なかなか充実して、良かったです。ロールも面白いですが、色んなものを見聞きしながら漕いで移動することもまた楽しいし、地元の海を認識するスベとしては大事なんですね。自分の五感をもっと使ってカヤックに生かせないものか、再考した一日でした。
ある秋の嵐の夜、わたしは一歳八か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸へおりていきました。海辺 には大きな波の音がとどろき わたり、白い波頭がさけび 声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、 広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底から湧きあがるよろこびに 満たされて、いっしょに笑い声をあげていました。
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ロジャーくんは幾つになったんだろうか。
今年は、若いころに読んで「ああ、良かったなぁ」という記憶が残っている本を再読する年にしようと思います。その一冊目が、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」。初めて読んだのは、学生の頃だったかな。もちろん「沈黙の春」も読んだのですが、読後の印象で言うと「センス・オブ・ワンダー」の方が“救われた感”があったのかも知れません。最近の文庫版では、掲載されている画像が違ったように思えたのは、勘違いでしょうか。まぁ、内容が変わるわけでもなし。問題ないです。
当たり前の言葉で書くなら「忘れていた感覚が甦りました云々」なんでしょう。しかし、実際は「忘れていた感覚」ではなく「捨て去った感覚」なのです。時間に流され、便利を追求し、汲々とした生活に追われ、自然の一端に触れて「すげぇっ!」と思える触角を失ってしまったのです。せっかくカヤックと言う道具を手にしているにも関わらずデス。元旦早々、ちょっとガックシ。でもでもでも、もう一回触角を取り戻せるかも知れません。フリダシに戻って、オルカに感動していた頃の自分を取り戻したいです。ブローの飛沫、静寂な海に響き渡る音、生臭い匂い、どれもこれもが“あの当時の自分”にとっては「すげぇーっ!」の連続でした。
そんなことを考えながらの、今日は初漕ぎでした。大貫から磯根を周って、観音様の下まで行き、引き返して大貫海水浴場からの岩瀬川遡上。なかなか充実して、良かったです。ロールも面白いですが、色んなものを見聞きしながら漕いで移動することもまた楽しいし、地元の海を認識するスベとしては大事なんですね。自分の五感をもっと使ってカヤックに生かせないものか、再考した一日でした。
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